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大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)7083号 判決 1982年5月31日

原告

梅木千鶴子

被告

久保田修

ほか一名

主文

一  被告久保田修、同浦濱房一は、各自、原告に対し、七万四〇〇〇円(ただし、被告久保田修は、五万四〇〇〇円)及びこれに対する昭和五二年五月一八日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告代理人は、「(一) 被告らは、各自、原告に対し、二八〇五万四三〇七円及びこれに対する昭和五二年五月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

二  被告ら代理人らは、それぞれ、「(一) 原告の請求をいずれも棄却する。(二) 訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  原告代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五二年五月一八日午後八時頃(天候晴)

(二) 場所 奈良県生駒市桜ケ丘一八八四番地の三一東方約四〇〇メートルの阪奈道路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(大阪五七て二一八一号。以下、「甲車」という。)

右運転者 被告久保田

加害車 普通貨物自動車(奈四四あ五一二号。以下、「乙車」という。)

右運転者 被告浦濱

(四) 被害者 原告(甲車に同乗中)

(五) 態様 右道路大阪行車線の南側車線を、訴外絹田英明運転の普通乗用自動車(鹿五五と八九九九号。以下、「丙車」という。)、乙車、甲車の順で東から西に走行中、現場付近において、いつたん乙車が丙車を追越すべく北側車線に入つたものの、突然追越を中断し、南側車線に戻つたため、甲車は乙車に、さらに、丙車に相次いで追突した。

2  責任原因

(一) 被告久保田

(1) 運行供用者責任(自賠法三条)

同被告は、甲車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(2) 一般不法行為責任(民法七〇九条)

同被告は、前方不注視、最高速度違反(時速一七〇キロメートル)の過失により、本件事故を発生させた。

(二) 被告浦濱

(1) 運行供用者責任(自賠法三条)

同被告は、乙車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(2) 一般不法行為責任(民法七〇九条)

同被告は、後方不注視、追越不適当の過失により、本件事故を発生させた。

3  損害

(一) 受傷、治療経過等

(1) 受傷

原告は、本件事故により、全身強打、右耳打撲並びに挫創、頸部捻挫の傷害を受けた。

(2) 治療経過

本件事故後、しばらくの間売薬を服用した。

昭和五二年七月頃から症状悪化し、山形県鶴岡市の実家で静養したが、その後いつたん回復した。

同年一〇月頃から再発し、同年一二月中旬以後寝たきりの生活を強いられている。

(3) 後遺症

少なくとも、後遺障害等級表七級四号に該当する症状が残存する(昭和五四年一〇月三一日頃症状固定)。

(二) 治療関係費

(1) 治療費 一〇万五五九四円

(2) 通院等交通費 七万八〇〇〇円

(3) 付添費 一七二万二五〇〇円

(三) 逸失利益

(1) 休業損害 五一三万二三六一円

原告は、事故当時二三歳で、事故後の昭和五二年八月から同年一二月初旬頃まで、大阪市淀川区十三本町一丁目七番二七号十三サンボート株式会社に勤務し、一日平均七四四九円の収入を得ていたが、本件事故により受けた傷害が悪化したため、同年一二月一一日から昭和五四年一〇月三一日まで、六八九日間休業を余儀なくされ、この間五一三万二三六一円の収入を失つた。

(2) 将来の逸失利益 一一九三万一一五二円

原告は、前記後遺障害のため、少なくとも一〇年間その労働能力を五六パーセント喪失したものと考えられるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一一九三万一一五二円となる。

(四) 慰藉料 六五八万四〇〇〇円

原告は、結婚適齢期で、服飾関係の学校に入学したばかりの健常な女性であつたが、本件事故による受傷、後遺症のため、生活保護を得、実母の介護によつて病魔と苦闘する日々を送るといつた極限状態に追い込まれており、被告側の不誠実な態度をも考慮し、原告の精神的苦痛を慰藉するには、六五八万四七〇〇円が相当である。

(五) 弁護士費用 二五〇万円

4  本訴請求

よつて、原告は、被告ら各自に対し、二八〇五万四三〇七円及びこれに対する本件事故の日である昭和五二年五月一八日から完済まで民事法定利率年五分の割合の遅延損害金の支払を求める。

二  被告ら代理人らは、請求の原因に対する答弁及び主張として、次のように述べた。

(答弁)

1 請求の原因1記載の事実について

(被告久保田)

認める(ただし、事故発生時刻は、午後七時三〇分頃である。)。

(被告浦濱)

発生日(ただし、事故発生時刻は、午後七時三〇分頃である。)、被告浦濱が乙車を運転していたことは認めるが、(五)は争う。その余の事実はすべて知らない。

2 同2記載の点について

(被告久保田)

(一)の(1)記載の点は認め、(2)記載の点は争う。

(被告浦濱)

(二)記載の点はすべて争う。

3 同3記載の事実について

(被告久保田)

原告が、本件事故により、右耳打撲並びに挫創の傷害を受けたことは認めるが、その余はすべて争う。

(被告浦濱)

争う。

(主張)

1 被告久保田

好意同乗について

被告久保田は、原告とは直接の友人関係になく、偶々友人の知合いであつたことから、好意で右友人と共に甲車に同乗させていたのであるから、過失相殺の法理に準じ、原告の損害賠償額は減額されるべきである。

2 被告浦濱

免責について

(一) 本件事故は、次のとおり、被告久保田の一方的過失によるもので、被告浦濱には過失がなかつた。

(1) 被告浦濱は、本件事故現場手前付近の南側車線上を大阪方面へ向け時速約五〇キロメートルで進行中、先行の丙車を追越すため後方の車両状況を確認したところ、約三〇〇メートル後方の追越し車線(北側車線)上に甲車が存在していたことから、充分車間距離があると判断し、方向指示器を点滅させて追越車線に入り、丙車と並びかけたとたん、突然背後で急ブレーキの音がし、その直後に乙車後部左側付近を甲車に追突されたのである。

(2) 被告久保田は、時速一七〇キロメートル前後で大阪方面に向け、一直線の下り勾配である事故現場付近の追越車線を走行していたところ、前方約三〇〇メートルの地点を走行中の乙車が追越車線に入つてきたのであるから、速度を落し、かつ、前車(乙車)の動向を注意すべきであるにもかかわらず、前記スピードのまま南側走行車線に進路変更しようとしたが丙車の存在を認めて、あわてて急ブレーキを踏み、更にハンドルを右に切つて元の追越車線に戻ろうとしたため、同車線上を走行中の乙車後方に甲車前部を追突させたものである。

(二) 乙車には、構造上の欠陥及び機能の障害は存在しなかつつた。

三  原告代理人は、被告らの主張はすべて争う、と述べた。

第三証拠〔略〕

理由

第一事故の発生

一  請求の原因1記載の事実は、発生時刻を除き、原告と被告久保田との間で争いがない。

また、同1記載の事実中、発生日(発生時刻は除く。)、被告浦濱が乙車を運転していたことは、原告と同被告との間で争いがない。

二  成立に争いのない甲第一号証、同第三号証、証人松田高夫の証言、被告久保田修、同浦濱房一各本人の尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、前記一の事実並びに次の事実を認めることができる(ただし、被告浦濱房一本人尋問の結果中、後記信用しない部分を除く。)。

1  本件事故現場は、東西に通じる阪奈道路の奈良県生駒市桜ケ丘一八八四番地の三一東方約四〇〇メートル付近道路上であり、付近の車道部分は、アスフアルト舗装道路で、センターライン上に設置されたガードレールにより東行(奈良行)及び西行(大阪行)の二車線に分離されていること、そして、西行(大阪行)車線は、北側センターライン寄りの幅員三・〇メートルの追越車線、南側の幅員四・〇メートルの走行車線の二車線から成り、その両側(南北側)には、それぞれ路側帯が設けられ(北側は幅員〇・八メートル、南側は幅員一・〇メートルとなつている。)、南側路側帯の外側(南端)にはガードレールが設置されていること、本件事故現場の東西各三〇〇ないし四〇〇メートルの区間は、西方(大阪方面)に向け一〇〇分の三の下り勾配となつているが、直線道路であり、地形上東西方向とも見通しは良く、また、高中速車は最高速度を時速六〇キロメートルに制限されていること、なお、事故の発生した午後八時頃、天候は晴で、付近路面は乾燥し、車両交通量は少なかつたこと。

2  被告久保田は、助手席に島ケイ子を、助手席側後部座席に原告を同乗させた甲車を運転し、時速一一〇キロメートル前後の速度で、前記西行車線の追越車線ほぼ中央付近を西進して事故現場付近に差しかかつた際、自車左斜前方約四二メートルの走行車線上を走行中の乙車が追越車線に進路変更する態勢に入つているのに気付き、約二七メートル進行した地点で、危険を感じ、直ちに前方約二九・四メートルにまで接近した乙車(車首はほぼ西向きとなり、車体の三分の二程度が追越車線に入つていた。)を避けるべく、やや左に転把しながら、ブレーキを二、三回踏み分けつつ減速したが、及ばず、約六四メートル進行した、追越、走行両車線を分つ区分線辺りで、自車右前部を乙車左後部に追突させ、その衝撃で乙車を右前方に押出してセンターライン上に設置されたガードレールに衝突させたこと。

3  被告浦濱は、トラツク一個を積んだ乙車(二トン積みトラツク)を運転し、時速五〇キロメートル前後の速度で、前記西行車線の走行車線を絹田英明の運転する丙車に追従して事故現場付近に差しかかつた際、丙車を追越そうとして後方追越車線上を確認したところ、甲車の前照燈がはるかに遠方で、三〇〇メートル程度の間隔があるように思われたので、方向指示器を点滅させたうえ、しばらく走行したのち、進路を変更し、追越車線に進入を開始したが、その際、追越車線上の安全を再度確認することを怠つたため、既に自車右後方約四、五〇メートルに接近した甲車の動静に全く気付かず、前記2認定の状況下で甲車に追突されたこと。

4  右追突の衝撃により、被告浦濱は、乙車を操作できず、約二六メートル右斜前方に暴走させ、中央ガードレールに衝突させたうえ、なお、ガードレールに乙車右前部を接触させながら約二〇メートル西進して停車したこと、他方、被告久保田も、右衝撃により、甲車を的確に制禦することができず、いつたん、乙車の暴走する方向に甲車を逸失させたうえ、乙車がガードレールに衝突した付近に至つたため、再び左に転把して左斜前方に数十メートル進行し、走行車線上を先行する丙車後部に甲車右前部を衝突させ、なお、二八メートルばかり前進して停車したこと。

以上の事実が認められ、被告浦濱房一本人尋問の結果中には、右認定と異る趣旨の供述が存するけれども、前顕各証拠と比照してにわかに信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

第二責任原因

一  被告久保田

同被告が甲車を所有し、自己のために運行の用に供していたことは、原告と同被告との間で争がない。したがつて、その余の点について判断するまでもなく、同被告は、自賠法三条により、本件事故による原告に生じた後記損害を賠償する義務がある。

二  被告浦濱

事実欄第二の一の2の(二)の(1)記載の事実はこれを認めるに足りる証拠がない。ところで、前記第一の二で認定した事実によると、同被告にも、現実に走行車線から乗越車線に進路を変更する際に、追越車線上の交通の安全を十分確認することもないまま、乙車を追越車線に進行させた過失があると認められるから、同被告には、その余について判断するまでもなく、民法七〇九条により、本件事故による原告の後記損害を賠償する義務があるといわなければならない。

第三損害

一  原告の受傷、治療経過等

1  証人梅木光子の証言により成立の認められる甲第二号証の二、三、証人松田高夫の証言、被告久保田修、同浦濱房一各本人尋問の結果によると、本件事故後、被告久保田は肘を若干痛めた程度、被告浦濱、絹田らも格別身体に異常はなかつたが、甲車に同乗していた原告及び島は念のため、救急車で倉病院に運ばれ、同病院で診察を受けたこと、原告は、右病院において、「右耳打撲並びに挫創、頸部捻挫の疑」との診断を受け、右耳部に関し、縫合処置を受けたが、島は特に傷害を負つた形跡はなかつたこと、その後、現場に戻つたが、その際、原告は、実況見分実施の警察官に対し、「大丈夫である、」旨告げていたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(原告が本件事故により右耳打撲並びに挫創の傷害を負つたことは、原告と被告久保田との間で争いがない。)。

なお、原告は、本件事故により全身を強打した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

2  ところで、原告は、昭和五二年七月頃症状が悪化し、同年一〇月頃再発、同年一二月中旬以後寝たきりの状況となつた旨主張しているので、以下検討する。

(一) 成立に争いのない甲第六号証の一ないし三、証人梅木光子の証言により成立の認められる同第二号証の一、同第五号証の一ないし六、証人梅木光子の証言によると、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和五三年一月三〇日に至り、済生会中津病院で受診し、レントゲン所見で、第四、第五頸椎間に不安定性が認められる、とされ、頸腕症の病名を付されたこと。

(2) 原告は、同年二月一七日から同月二五日まで、六日間、松本整骨鍼灸院に通院して施術を受けたこと。

(3) また、原告は、同年二月二一日、昭和五二年一〇月頃から頭痛、視覚のぼやけがあるとともに、昼間寝むたい、現在吐き気、頸部痛、全身の不快感があると訴えて、北野病院脳神経外科で受診したこと、同科の診察では、第二、第三頸椎部両側に圧痛が認められ、レントゲン写真では第七頸椎から第一胸椎にかけて脊椎症的棘(骨の)が認められたのみで神経学的所見に乏しく、眼底検査、運動感覚にも何らの異常は認められず、頸部症候群と診断されたこと、そして、昭和五三年二月二三日来院して原告の母光子に薬が与えられていること。

(4) 昭和五三年三月六日、気分が悪く、吐き気があるとして宝珠整骨院で受診し、翌日も通院していること。

(5) さらに、原告は、同年四月五日、頭痛を主訴として国立大阪病院脳神経外科で受診して、頭部外傷後遺症・頸椎捻挫の病名を与えられたが、各種検査によるも何らの異常もなかつたこと、もつとも、原告は、同科医師に対し、昭和五二年一〇月頃から背部痛で起きられず、時折頭痛もした旨述べ、前記(3)認定の北野病院での問診内容とはやや異つた応答をしていること。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によると、原告は、昭和五三年一月末頃から同年四月上旬頃にかけて、各種医療機関で、身体の不調を訴えて診察を受けていたこと、そして、当時の原告の症状とは、各医療機関での診察がほぼ一回きりで資料に乏しく、しかも、右機関相互間で必ずしも検査結果(レントゲン所見でさえ一定していない。)が一致しているわけではないので、定かとはいい難いが、全体として、他覚的所見に乏しい多彩な不定愁訴を主体とするものであつたことが認められる。

ところで、原告の症状の出現した時期について、原告自身は、前記認定のとおり、医師に対し、その内容はともかく(北野病院では、頸部、視覚のぼやけを、国立大阪病院では、背部痛と説明している。)、昭和五二年一〇月頃であると答え、また、証人梅木光子の証言中には、同年七月頃原告が山形県の実家に帰つた時期から、あるいは、同年九月頃休職状態になつた時期、さらに同年一二月頃、原告が再度山形県へ戻つた時期等を種々述べる部分が存するけれども、後記(二)で認定の原告の就労状況、前記認定の医療機関での受診状況等に照らし、いずれも信用することができず、他に通院の推移を示す客観的資料の存しない本件においては、原告の症状出現の始期を診断書、カルテ等によつて確定できる昭和五三年一月末頃とせざるを得ない。

また、原告の症状の内容・程度についても、証人梅木光子の証言中には、原告には腰骨、背骨の転位、肝機能、骨髄の増血機能の異常等が現われ、寝たきりの状態になつた旨の供述が存するけれども、客観的な裏付けを欠くうえ、医療機関の検査所見、診断内容ともくい違う点があり、証人久保田富三郎の証言、被告久保田修本人の尋問の結果と比照しても、にわかに信用できない内容を含んでいるので、右梅木光子の証言のみによつて、先に認定した以上に、原告主張のように昭和五二年一二月以後原告の病状は重く、寝たきりとなつたとまで認定することは到底できないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(二) 他方、証人梅木光子の証言により成立の認められる甲第四号証の一ないし五、証人梅木光子の証言、被告久保田修本人の尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、本件事故前後スナツク「ピアゼ」、同「ラブラブ」でホステスとして働いていたもので、昭和五二年七月いつたん山形の実家へ戻つたことはあるものの、昭和五二年六月頃及び八月頃の被告久保田に対する電話でも、元気で働いている旨の話があつたにすぎなかつたこと、この間、原告は、現在残つている「ラブラブ」の給料明細書からみても、同年八月には二八日間、同年一〇月には二七日間、同年一一月には二六日間、いずれも「ラブラブ」に出勤し、いずれも皆勤手当を受け取つているほか、残業もするなど、職場における勤務は精勤のうちに終始しており、少なくとも、このような状況は事故後から同年一二月中旬まで七か月間は継続していると推認できること。

(2) その後、原告は、再び山形の親元に戻り、翌昭和五三年一月末頃母光子とともに大阪に来たが、以来全く働くことなく、前記(一)認定の医療機関で受診したものの、一箇所につき一回長くても数回通院したにすぎず、ほとんど治療らしい治療を受けていないこと、同年二月頃被告久保田が原告方を訪れ、原告と面談した際、格別身体の変調をうかがわせるところはなかつたものの、母光子からは、事故による補償を求める話がはじめて持ち出されたこと、その後、光子は、被告久保田側と交渉の機会をもつたが、同被告側の「原告を医療機関で受診させ、的確な診断を得たい、」との再三にわたる要請にもかかわらず、原告自身受診を拒否するとの理由で応じなかつたこと、そして、本訴提起後、原告自ら家出し、所在不明の状況にあるが、現在では一人で生活するうえで、何ら支障もない状況にあると推認できること。

以上の事実が認められ、甲第六号証の一(北野病院のカルテ)、三(国立大阪病院のカルテ)記載のうち、原告が医師に対し、昭和五二年一〇月頃症病が現われた旨述べている部分は前記(一)で説示のとおり信用できないし、また、証人梅木光子の証言中、右認定に反する部分も、前記(一)で説示したほか、前顕各証拠と比照してにわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三) 以上認定した(一)及び(二)の事実に、前記1で認定した受傷時の状況を併せ考えると、前記(一)で認定した昭和五三年一月末頃当時における原告の症状が相当程度心因的影響を多分に受けたものであると考えられる点は、しばらく措くとしても、前記(二)認定の諸事情、殊に事故後七か月間の原告が稼働していた実情(一般的にもホステスとして相当程度の労働を要すると考えられる。)に鑑みると、原告自身が所在不明となつて、その間の経緯について合理的な説明をなしていない本件にあつては、原告の右症状そのものと、本件事故による受傷との間に因果関係が存するものと断定することはできない。

もつとも、前記甲第六号証の一、三記載のうちには、右因果関係をうかがわせるかのような記載も存しないわけではないけれども、いずれも原告自身の医師に対する申告内容を記載したものにすぎず、しかも、症状出現の経過を記載した部分は、前示のとおり、信用できず、したがつて、これのみにては、因果関係を肯定することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

二  治療関係費

1  治療費 一万四〇〇〇円

前記一の1で認定した事実と弁論の全趣旨により成立の認められる甲第七号証によると、原告は、前記倉病院で治療を受け、一万四〇〇〇円を支払つたことが認められる。他病院での治療については、前示のとおり、本件事故による損害とは認め難い。

2  通院等交通費、付添費

これを認めるに足りる証拠はない。

三  逸失利益

前記一で認定、説示のとおり、昭和五二年中旬以後の原告の休業は、本件事故による受傷によるものとは認め難く、また、原告に後遺症状が残存したことを認めるに足りる証拠も存しないから、この点の請求は理由がない。

四  慰藉料 被告久保田につき 三万円

被告浦濱につき 五万円

前記一の1で認定したとおり、原告は、本件事故により運ばれた倉病院で右耳打撲傷、頸部捻挫の疑と診断され、縫合処置を受けたのであるから、本件事故の態様その他を併せ考えると、原告の精神的苦痛を慰藉するには、各被告につきそれぞれ右金額とするのが相当であると認める。

なお、被告久保田修本人尋問の結果に弁論の全趣旨を併せ考えると、原告は、ホステスをしていたことから、飲客として通つていた被告久保田と知り合い、事故前夜同僚ホステス島ケイ子のマンシヨンで同人及び被告久保田と遊び、島がドライブに誘つたことから、翌日、被告久保田の運転する甲車に同乗し、本件事故に遭遇したものであることが認められるので、これら同乗に至つた経緯等の事情は、公平の見地から、前記のとおり、被告久保田に対する慰藉料の減額事由として考慮すれば足りるといわなければならない。

第四弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告らに対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は一万円とするのが相当である。

第五結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告久保田に対し五万四〇〇〇円及び本件事故の日である昭和五二年五月一八日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の、被告浦濱に対し、七万四〇〇〇円及び右同日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求は理由がないから、いずれも棄却することとし、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 弓削孟 佐々木茂美 長久保守夫)

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